
下中にある八幡神社では、毎年三月上旬ごろ、その年の豊作を祈願して、白米のお田植祭を行っています。この祭は、南種子町の無形民族文化財に昭和四十七年に指定されています。神社総代によりますと、お田植え祭の最初は、白米のお洗米祭りとして行っていたが、のちにお田植え祭りに変わり、校区民の田植えを済ませてから、各個人の田植えを行っていたことです。付近は、「市の坪」と呼ばれ、早くから田が開かれていました。また、下中八幡神社の年間行事は七つあります。
ところで、お田植祭を行うために、氏子たちによって奉納旗を立てたり、舟田苗代引き、お田の森山の手入れ、神社の注連縄張りなど準備をします。祭の前に、社人により夜明け前近くの海岸に行き、シュエイ取りが行われます。これを行うとき、誰かに気づかれないように注意しています。
【注意】 シュエイとは、海砂をタマシダでツト状に包んだもので、魔除けや祭周辺を清めるために用いられています。しかしながら、昨年より、シュエイ取りは中止されています。
今年は、午前九時より八幡神社関係者が集まり、神事が行われました。神事は、お祓い、祝詞の奏上、玉ぐしの奉奠などです。神社での神事が終ると、森山のお田で、お田植えの奉納があり、その後、お田植えが行われています。写真一枚目は、森山のお田で、南種子町立花峰小学校児童によるお田植えの状況です。今回八人の参加がありました。
お田に、四本の竹で、注連縄をかけており、その中が神田です。神田には、女性や子供たちは立ち入ることができません。神社総代だけで、お田植えをします。それ以外は子供たちもお田植えができます。関係者や子供たちのお田植などが終ると、お田植祭も無事終了です。関係者が、森山に集まり、ナオライが行われました。
![]() |
午前九時より、八幡神社で行われたお田植え祭の神事です。写真は、祝詞の奏上です。神職より、下中校区の自然、安全、安泰などを読み上げていきます。 |
![]() |
写真は、八幡神社総代による玉ぐしの奉奠です。このあと、花峰小学校の校長先生が玉ぐしを奉納されました。玉ぐしの奉奠が終わると、神社での神事は終了です。 |
![]() |
神社での神事が終わると、お田植えの無事を願って、神職によりお祓いが行われました。写真は、お田植えをする子供たちをお祓いを行っているところです。 |
![]() |
子供たちのお祓いを済ませると、神田で四方祓いを行います。これが終わると、ガマオイジョウの舞のよって、お田植えが始まるのですが、今回はありませんでした。 |
![]() |
神主によるお祓いが終わると、神田、一般田での苗代引きが行われます。今回、水田に水が多かったために、排水を行いました。これが終わると、いよいよ、神田、あるいは、子供たちによるお田植えが行われていきます。 |
![]() |
写真は、神社総代による神田でのお田植えの状況です。他の人は、お田植えができないのです。 |
![]() |
神社関係者、花峰小学校PTAによるお田植えの状況です。道では、保護者などが子供たちのお田植えを見守っていました。また、お田植えの見学者もいました。 |
![]() |
神田や一般田でのお田植が終ると、祭りも終了です。子供たちは、お菓子などをPTA会長から一人ずついただいていました。そして、今日のお田植えで、初めて田植えを行った人を聞いたところ、四人の手が上がりました。その四人とは、種子島以外の留学生の児童でした。その様子です。 |
![]() |
お田植えが無事終わると、関係者が森山に集まり、ナオライが行われます。今年の豊年豊作、地域の発展、安全、これからの行事のことなどを語り合います。 |
イヤ 田作り娘よ若い娘 田を作って見せろか
イヤ かみをなずる若い娘 なしずればの若い娘
イヤ しながよければ若い娘 しなもしなによりそうろ
イヤ 吉野の山のしな三ぞう 吉野の山のしな三ぞう
イヤ ここはなしかあつぼ田か ええ作らじのつぼ田
イヤ つぼの神よつぼの神 助けてたもれつぼ田
イヤ つぼに入ったばじょう そこからとしよりそがき出せ
イヤ いっちゅう田の水口で ウッチュウなしてのもうよ
イヤ 山の下のマツアンネ つきのほしが光るよう
イヤ つきでもほしでもないけれど 若い時光るよう
イヤ 早ううえて田植て 田主どんとねていこう
イヤ どうでも田主とねる時は むすこの田主とねていこう
イヤ どこをまくらにねていこう あぜをまくらにねていこう
イヤ 日さえくるれば田主が 目つきはなつきおそろしか
イヤ 田限りーと言う時は ふんばいふんばり作れよ
イヤ なえかぎりーと言う時は ふみこみおしこみ作れよ

