馬毛島は、種子島西之表から西へ約12キロの沖合いにあります。周囲は約12キロの三角形で、高いところでも70メートルの平坦な島です。馬毛島の99%は民有地です。現在、馬毛島の南北に滑走路を建設中で、米軍普天間飛行場や空母艦載機離着陸訓練の移設候補地として報道されています。
ところで、馬毛島は、トビウオ漁の拠点として使われた以外は、明治三十八年から牧場化が試みられるまで無人島でした。終戦後は、開拓団が入植し、住宅やサトウキビ栽培などにより、島の約半分ほどが利用されてきました。最盛期には、島の人口も500人ほどに達し、小・中学校も建設されてきました。現在の西之表旧港の国道58号線始点付近から、馬毛島への定期便も出ていたほど賑わっていました。
その後、石油備蓄構想のため企業による買収が進み、昭和55年には再び無人島になってしまいました。馬毛島が有名になったのは、バッタの異常発生でした。テレビや新聞でも大きく取り上げられ、馬毛島の自然の不思議さが脚光を浴びてきました。
最近になって、在日米軍の空母艦載機離着陸訓練(FCLP)移転候補地として日米共同文書に明記された鹿児島県西之表市の馬毛島について、防衛省は南西地域の防衛態勢充実に向けて同島に整備する自衛隊施設の概要やFCLPの飛行ルートなどを明らかにしています。
そして、南北方向に滑走路(現在、滑走路みたいなものはある)を整備し、離島侵攻に対応した訓練場も設置。大災害や離島侵攻が起きたとき、全国の陸海空自衛隊が集結・展開する拠点とすることも考えています。防衛省の試算では地元自治体への交付金は10年間で約250億円となるとしています。
また、自衛隊施設では、揚陸艇や輸送ヘリでの上陸や空挺部隊の訓練を行い、陸海空自衛隊の拠点とするほか、支援物資なども備蓄するとしています。なお、自衛隊員宿舎を種子島に建設し、米兵の宿舎は馬毛島に建設することも分かっています。
これから、馬毛島がどうなっていくのか。種子島の住民は、不安を抱えています。
昔の飛び魚漁
話題性の多い馬毛島の昔の写真を紹介するため、今回、種子島開発総合センター(鉄砲館)に展示されている写真を、カメラで写しそれを紹介することとしました。
とにかく、古い写真であることと、展示場所の照明などの光の反射があり、うまく撮影できていないものもあります。どうぞ、ご了承ください。
なお、撮影については許可をいただいたものです。馬毛島の詳しいことについては、種子島開発総合センター(0997-23-3215)までお問い合わせてください。資料提供=種子島開発総合センター(0997-23-3215)
写真一枚目は、種子島開発総合センターの馬毛島での飛び魚漁の展示コーナーです。昔の馬毛島での飛び魚漁を詳しく案内してくれます。
写真二枚目は、昭和38年11月25日に行われた馬毛島丸の就航祝賀会の模様です。
馬毛島丸就航祝賀式
馬毛島の朝
写真三枚目は、馬毛島の朝です。朝、飛び魚を満載にした船が次々と帰ってきて、港は大忙しとなります。そして、男たちは、何枚もの網を干す大仕事が待っています。
写真四枚目は、馬毛島での飛び魚漁の模様です。たくさんの飛び魚が入った網を引き上げているところです。
馬毛島の飛び魚漁
写真五枚目は、馬毛島葉山の廃屋です。現在の飛び魚漁は、漁船も新式の高馬力のディーゼルエンジンとなり、馬毛島まで、約20分足らずで渡れるようになると、馬毛島の漁業基地は不要となり、これらのトッピー小屋も廃屋となりました。
馬毛島葉山の廃屋
写真六枚目は、浜いっぱい干される飛び魚です。馬毛島で獲れた飛び魚は、塩つけにしたり、天日で一夜干しにされたりして、種子島へ運ばれていました。漁師たちの一年の家計を支えるほどの漁であったといいます。
飛び魚干し
飛び魚干し
写真七枚目は、飛び魚の天日干しです。昭和30年代のものです。
写真八枚目、九枚目も同じく浜いっぱいに飛び魚を天日干しにいているところでしょう。この作業は女の仕事であったのでしょう。
飛び魚干し
写真十枚目は、浜での飛び魚干しです。鹿児島県内では、屋久島、種子島、馬毛島近海が最良の漁場ですが、年々水揚げが少なくなり、昔みたいな島をあげてのにぎやかな飛び魚漁は今では見られません。
飛び魚干し
飛び魚干し
写真十一枚目は、馬毛島の葉山港です。夏になると、飛び魚漁のため、種子島から家族中で馬毛島に移動します。そして、港には、飛び魚船団がひしめいていました。
馬毛島葉山港
写真十二枚目は、馬毛島の夏の様子です。梅雨が明けて躍動する馬毛島の夏の到来です。このすみ突きの名人は、ちょっとの間にブダイ四匹をあげてきました。
馬毛島の夏
写真十三枚目は、馬毛島の昼です。飛び魚漁期中、男たちは昼間ぐっすりと寝て、夜の漁に備えます。アゴを落とした網が整然と干してあります。
馬毛島の昼
飛び魚干し
写真十四枚目は、浜での飛び魚干しです。飛び魚漁は、4〜6月が産卵期で、漁期は5〜7月頃までが最盛期です。漁の方法は、大敷網漁、刺し網漁、すくい網漁、そしてロープ引き網漁(追い込み漁)などがあります。
ところで、昔の馬毛島の写真をお持ちの方は、このコーナーで、掲載していきますので、ご協力・ご連絡をお願いいたします。なお、連絡は、メールにてお願いいたします。
メールはこちらから →メール
馬毛島での自宅
西之表市役所に勤務されている鎌田さんから馬毛島での生活の様子の写真を提供していただきましたので、カメラで写しそれを紹介することとしました。
とにかく、古い写真であることと、光の反射があり、うまく撮影できていないものもあります。どうぞ、ご了承ください。
第二次世界大戦後、西之表町は、次男、三男の対策として、馬毛島への開拓が進められていました。鎌田さんのお父さんは、最初の開拓団として、馬毛島へ渡っています。
開拓は、相当苦労を伴ったといわれています。マムシから噛まれたこともあったと、お父さんから聞かされていましたと話してくれました。
写真一枚目は、馬毛島に住んでいたときの自宅です。今でも馬毛島には、ソテツがたくさん自生しています。玄関にソテツを置いていたんですね。
写真二枚目は、何かの記念撮影だったのでしょうか?バックは、馬毛島の松林です。おそらく、昭和30年代でしょうか。
何かの記念撮影?
馬毛島小学校入学式
写真三枚目は、昭和39年4月7日の馬毛島小学校の入学式のときに写したものです。小学校の玄関前です。
写真四枚目は、馬毛島小学校での敬老会です。そのときに小学校玄関前で写したものです。いつのものかは分かっていません。
敬老会で小学校玄関前
写真五枚目は、敬老会での舞台です。写真四枚目と同じときのものです。
敬老会での舞台
写真六枚目は、葉山港からタクシー代わりの馬車です。いつ頃かは分かっていません。
葉山港から馬車で
馬車の上で
写真七枚目は、自宅前付近で、馬車の上に乗っていたときに写したものです。カラー写真ですので、昭和40年代でしょうか。
写真八枚目は、自宅付近で遊んでいるところを写したものです。右は鎌田さんのご主人、左はお兄さんですと話されていました。小さい頃から、仲がよかったのですね。
自宅前付近で遊ぶ
写真九枚目は、自宅付近で遊んでいたところを写されたのでしょう。昭和40年代?バイクがありますね。
自宅前
今回、写真を九枚提供してくれました。貴重な写真ありがとうございました。
ところで、昔の馬毛島の写真をお持ちの方は、このコーナーで、掲載していきますので、ご協力・ご連絡をお願いいたします。なお、連絡は、メールにてお願いいたします。
メールはこちらから →メール
遠くに種子島
昭和58年発行の「ふるさとの思い出写真集西之表」に掲載されている馬毛島の写真を、西之表市東町の古賀写真館(0997-22-0855)古賀栄一様から許可をいただきましたので、カメラで写しそれを紹介することとしました。
とにかく、古い写真であることと、光の反射があり、うまく撮影できていないものもあります。どうぞ、ご了承ください。
馬毛島は、西之表市の西方海上に浮かぶ小さな三角形の小島です。写真の情報ははっきり分かりませんが、岳ノ越の麓付近から葉山港を一望したものではと思います。付近は萱原です。この写真の31年後は、畠に変わっています。
羊の牧場
馬毛島のソテツ
写真二枚目は、明治37年ごろの牧場です。明治5年に西之表の武田竜蔵、平山準平、西村守人、西村甚五右衛門らは、馬毛島に畜産会社牛牧舎を創設しています。その後、農商務省の委託牧場となり、緬羊490頭を飼育するまでになっていました。
写真三枚目は、馬毛島のソテツです。馬毛島には、今もなおソテツが自生しています。葉山港付近のソテツの群落です。かつて、西之表市の指定文化財でもありました。
葉山港
写真四枚目は、昭和29年ごろの葉山港です。馬毛島は、享保年間から種子島島主によって、洲之崎、池田、塰泊の三箇所が漁業権を認められていました。丸木舟の最盛期だったのです。
玉籠港
写真五枚目は、葉山港の反対側に位置する玉籠港です。玉籠港付近には、第10代種子島島主たるべき三郎のお墓があるという。家督争いで、馬毛島で殺されたといわれています。
岳ノ越
頂上のトーチカ
写真六枚目は、岳ノ越の麓の萱原でしょうか?この丘の南側に、馬毛島だけの固有植物「タネガシマアリノトウグサ」の群落があったといわれています。
写真七枚目は、馬毛島の岳ノ越の頂上にあるトーチカです。戦時中、特設海軍分遣隊の命令で作られたもの。今でも残っています。
船団出港
写真八枚目は、飛び魚漁船団の出港です。夜明け前の出港です。
写真九枚目は、葉山港での飛び魚干しです。港付近まで、びっしりと飛び魚を干しています。
葉山港の飛び魚干し
葉山港付近の小屋
写真十枚目は、葉山港付近の小屋です。昔は、飛び魚漁で、葉山港は活気がありました。
網揚げ
忙しい作業
写真十一枚目は、飛び魚の水揚げです。徹夜で漁をした飛び魚、このときだけは目が輝いていたという。
船が帰ってくると、女たちにとっては、忙しい作業が待っています。飛び魚を洗って、さばいて、塩をまぶして、干していきます。それが写真十二枚目です。
たばこ屋もあった?
能野小屋
写真十三枚目は、小屋です。たばこ屋もあったんですね。最後の写真は、葉山港の反対側の西海岸です。竹島が右、左に硫黄島も見えています。
今回、写真を十五枚提供してくれました。貴重な写真ありがとうございました。
ところで、昔の馬毛島の写真をお持ちの方は、このコーナーで、掲載していきますので、ご協力・ご連絡をお願いいたします。なお、連絡は、メールにてお願いいたします。
メールはこちらから →メール
平成22年7月17日に、知人の遊漁船にて、海上から馬毛島を撮影したものです。馬毛島近海は、遠浅で、水深も極端に浅いところもあり、危険な海域です。現在の馬毛島は、こんな風景になっています。人気のある「lightbox」でご覧ください。