山田歌子墓地

山田歌子は、京都に生まれ、夫は薩摩藩士京都留守居役の山田市郎左衛門清安、和歌の縁で結ばれた。歌子とともに鹿児島に帰ってきた清安は、第28代藩主斉興の跡目相続争い(お由羅騒動)の中心人物として処刑され、歌子も夫の罪に連座して種子島に配流された。

種子島では、第23代名跡松寿院の厚遇を受け、また、歌人の平山優子との交流も深かった。

山田歌子墓地

歌子の歌風は、桂園派と呼ばれるもので、新鮮で種子島の花壇に大きな影響を与えた。

「吹く風も磯うつ波も心せよ まだ里なれぬ旅の枕木」

これは、種子島の第一夜に詠んだものである。

その後、万延元年(1860年)8月16日に、不帰の人となった。歌子の墓は、田屋敷雲之城墓地の一角に、自然石で建っています。

【観光場所】
鹿児島県西之表市榕城田屋敷
【アクセス】
西之表港から車で約5分
【駐車場】
ありません。近くの道沿いに通行の妨げにならないように止めるといいでしょう。
【トイレ】
ありません。
【注意点】
特になし。

※ 動画の中には、山田歌子の墓地案内のパネル、歌碑、お墓などを収録しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

種子島の名所・観光スポット:歌人山田歌子墓地

2016.9.3〜