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  3. 月窓亭平和講演会「満蒙開拓団と戦争」

多くの中国残留孤児・日本人を生んだ開拓団

平成30年8月18日(土)、種子島開発総合センター鉄砲館2階会議室で、「満蒙開拓団と戦争」と題して、種子島秀子氏による月窓亭平和講演会「満蒙開拓団と戦争」が行なわれました。

茨城県結城市在住の種子島さんは、昭和12年(1937年)京都生まれ。昭和19年(1944年)7才の時に家族と共に京都廟嶺開拓団に加わり、満州に渡り吉林省樺甸県に入植します。戦後、帰国できず、中国遼寧省に滞在。日本人母と中国の養父元で育ち、専門学校卒業、32年間中学校教師勤務。平成2年に帰国し茨城県結城市に在住。自分の戦争体験、平和と命の尊さを日本各地で語り続け、反響を呼んでいます。その平和講演会の模様を写真と動画で掲載しています。

なお、「満蒙開拓団と戦争」の講座についての詳しいことについては、赤尾木城文化伝承館月窓亭(0997-22-2101)にお問い合わせてください 。

講師の種子島秀子氏

講師の種子島秀子氏です。講演の中で、父の名前と自分の名前は絶対に忘れないようにいつも心の中に刻んでいたと話されていました。

満蒙開拓団とは、満州事変後、困窮した農民の救済と満州国の維持、北方警備のために旧満州や現在の内モンゴル自治区に全国から送り込まれた農業移民団のことをいう。その数は27万人にのぼっています。種子島さんの京都廟嶺開拓団は、昭和20年終戦前に吉林省樺甸県に入植しています。その後、関東軍は撤退し、移民団は置き去りにされてしまい、その逃避行は悲惨を極め、大勢の中国残留日本人・孤児を生んでしまいます。

ひとつ葉の会奥村会長のあいさつ

赤尾木城文化伝承館月窓亭ひとつ葉の会奥村会長のあいさつです。講師の紹介、満蒙開拓団のことなどを話されていました。

会場の参列者

会場には、多くの人が参列しました。満蒙開拓団の話に熱心に聞き入っていました。

松寿院研究家の村川元子さん

松寿院研究家の村川元子さんです。種子島秀子氏との関係について話されました。昨年10月1日に、秀子さんの息子さんから電話があり、戸籍謄本を取り、調べてみたら、秀子さんの祖父にあたる「ゆうきち」さんの名前が分かり、それがどこに関係しているか分かっていたので秀子氏のつながりが判明したと話していました。

当時の家

写真の絵は、当時を思い出して、イメージしたものだといいます。ある夜、地元群衆に襲撃されて、足元に鉄砲の弾が通ったことなど話してくれました。

遼寧省に移動している状況の話し

終戦後、ますます地元群衆による襲撃事件が多くなり、開拓団長が、引き上げの命令を出し、150キロ先の遼寧省に移動している状況です。移動中に襲撃を2回受けており、ここで、父が亡くなっています。秀子氏も木刀で頭をたたかれ気を失ったりします。

遼寧省での難民収容所の話し

遼寧省で難民収容所に入ります。ここで、開拓団から離脱して、妹とともに中国人に預けられます。また、妊娠していた母は子供を産み中国人に預けます。現在、どうなっているか不明だということです。そして、母は、中国人と結婚したそうです。

※ 2018年8月18日(土)、西之表市種子島開発総合センター鉄砲館で行われた月窓亭平和講演会「満蒙開拓団と戦争」と題して、第19代島主種子島久基公の四男時純の子孫である種子島秀子氏の講演の模様を時間短縮して紹介しています。この動画の中には、松寿院研究家第28代種子島時望氏の長女村川元子氏の種子島秀子氏のこれまでの経緯と紹介の模様、秀子氏のこれまでの経緯と満蒙開拓団の話しを収録しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

月窓亭平和講演会「満蒙開拓団と戦争」講師種子島秀子氏

【撮影場所】
鹿児島県西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)
【撮影日時】
2018年8月18日(土)/14時00分〜16時27分
2018.8.22〜