
棒踊りは、島津藩が士気を鼓舞するために、棒術を踊りに仕組んだのが始まりと言われています。種子島の各地に棒踊りは伝承されており、明治十五、六年頃、加治木、加世田、日置から習いこんだと言われています。油久校区の棒踊りは、加世田から入り込んだと言います。毎年、小学校・校区の運動会で、子どもたちが披露しています。今回、油久校区育成会のみなさんが、中種子町制施行70周年記念郷土芸能祭で、踊ったものを紹介しています。
棒踊りの服装は、白の短パン姿で、頭に白いハチマキとタスキがけ、腰に黒帯びをして、六尺と三尺の棒を使っています。そして、正面には、歌を歌う太鼓がいます。
棒踊りは、入場、棒突き、本踊り、退場から構成されています。棒踊りの歌にあわせて入場します。このとき、途中から駆け足になるところが、油久の棒踊りの特徴です。
写真一枚目は、棒踊りの本踊りです。本踊りは、二人一組、または、四人一組になって踊ります。踊る人数も多いので、棒同士が打ち合いになると、館内に勇ましい棒の音が響きわたります。前後左右に、打ち合いながら踊っていきます。踊りも巧みな動作で、勇敢に子供たちが精一杯踊ってくれました。棒同士が打ち合いになり、その時発する音が何とも民族的な響きになっています。子供たちのきびきびした動作が印象に残りました。
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写真左側から、六尺の棒と三尺の棒を担いで、勇ましく入場します。入場が終わると、体制を整えて、棒突きが始まります。歌は前におり、太鼓を叩きながら棒踊りの歌を歌います。 |
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写真は棒突きです。棒突きは、前後に移動しながら、棒を突き出します。このとき子どもたちは、掛け声を出しています。これが終わると、本踊りが始まります。 |
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写真は六尺の棒だけで踊る本踊りです。三尺の棒は、横で待機しています。これが終わると、棒踊りも終了で、退場していきます。 |
油久棒踊り
四界を照らすこの国に 大和男子の血を受けて
生まれ出でたる青年の 結び固し収養団
霧島松は 黄金花咲く
焼け野の雉は 丘の背に住む
おせどが山は 前はだいかわ
琉球におじゃるなら わらじをはいておじゃれ
琉球は石原小石原
