
種子島大踊りは、別名「安城踊り」、「かけうち太鼓」、「大踊り」とも呼ばれており、種子島の各地に伝承されています。その中で、現和の武部の踊りは、種子島を代表する大踊りです。
種子島大踊りの起源ははっきりしませんが、一般的に、鎌倉時代あるいは室町時代のころ、種子島氏が上洛したときに関西地方(上方)で流行していた踊りを家来たちの士気を鼓舞するために習わせて、種子島へ持ち帰ったといわれています。一方、堺の商船が安城大野の海岸に漂着したときに、村民の暖かい介抱のお礼にこの踊りが教えられたとの説もあります。
さらに、南九州一円には、「種子島踊」とか、「種子島楽」と呼ばれる南九州の踊とは異なる太鼓踊りが百箇所以上で伝承されています。長い歴史の中で、武部の種子島大踊りとは幾分違っており、その伝播や経路は今もなお分かっていません。
ところで、種子島大踊りは二種類あります。「百姓踊り」と「武士踊り」です。武部に伝承されている大踊りは、「百姓踊り」です。種子島で伝承されている大踊りは、ほとんど百姓踊りが多くなっています。種子島大踊りは組踊りになっており一組は、出端(では)、本踊り、崩し、引端(ひきは)の構成になっており、これを二組踊っていきます。一組の踊りは約十五分くらいですので、全体では三十分の大踊りになっています。今回は、「締むれば鳴る」の一組を踊ってくれました。
大踊りの服装は、頭に花笠をかぶった踊り子が九人、入鼓四人、そして鉦五人です。またハチマキをした艶やかな衣装を身に着けた十五人がいますので、全体では二十四人の踊りです。衣装も派手さと地味さとが混在し、よくバランスが取れています。華やかさの中にも落ち着きのある雰囲気も感じさせます。
写真一枚目は、種子島大踊りの崩しの踊りです。外周の太鼓と内の花笠とが水平になり、リズミカルな踊りを披露してくれるのです。大踊りでも一番の見所です。風本神社で踊る大踊りは一組だけの踊りで、あとの二組が省略されています。翌日は、武部の向田神社で奉納されていきます。
太鼓や鉦の数も多いので、民族的な音が響いてきます。大変華やかな踊りで、時には勇壮に、時には荘厳な雰囲気もあり、古式床しき哀愁も感じられます。風本神社と武部で披露される種子島を代表する大踊りで、郷土芸能を思う存分堪能できます。なお、武部に伝承されている種子島大踊りは、鹿児島県の無形民族文化財に指定されています。ここから種子島の各地に広がっていったと言われています。
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種子島大踊りの出端の様子で、太鼓や鉦を叩きながら「ヤー、サー」などと声を出しながらゆっくり入場してきます。次第に二重円の隊形に進行していきます。これが終ると、本踊りが始まります。 |
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写真は、花笠の出端です。入鼓と鉦が交互に配置されています。前進、停止を繰り返し、次第に内周の円形に進行していきます。 |
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写真は、種子島大踊りの本踊りです。一般的に本踊りは、緩やかなゆったりした踊りになっています。緩急の変化もほとんどありません。 |
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写真は、種子島大踊りの本踊りの隊形です。外周は太鼓、内周は花笠をかぶった入鼓と鉦の鳴り物です。太鼓は、時計方向に移動しながら、花笠は反時計方向に移動しながら踊っていきます。 |
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写真は、崩しのときの太鼓です。鮮やかな襦袢がひときわ目立っています。太鼓によって、華やかさを演出しています。また、人数も多いので、神社境内に太鼓のにぎやかな音が響き渡っています。 |
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写真は、種子島大踊りの崩しの隊形です。写真右にもう一組の太鼓があります。四列になっているのです。 |
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写真は、種子島大踊りの崩しの笠です。対面になり、入鼓、鉦を叩き合います。素朴な響が印象に残ります。太鼓に比べて、バチが小さいので、比較的素朴な音になっています。 |
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写真は、種子島大踊りの引端の様子です。崩しが終ると一列になり退場していきます。美しい曲線が印象に残ります。 |
一 (ン)締むれば鳴る (ン)締めねば鳴らぬ小鼓の
(ン)心調べに手をやれば鳴る (ンヤア)手をやれば鳴る
二 (ン)越しをして (ン)薩摩の方を眺むれば
(ン)球磨八代を鏡とぞ見る (ンヤア)鏡とぞ見る
三 (ン)恋をして (ン)渚をゆけば千鳥鳴く
(ン)なお鳴け千鳥恋の暗そうよ (ンヤア)恋の暗そう
(崩し)
関より此方の弓取りで 手には真皮のゆがけぬき
足には蓮華の靴をはき 虎毛の犬を腰づれに
しのだが山を狩るほどに 十三連れた牝鹿を
一つも残さず射て召せよ やらやら見事やら見事
引いてもどる夜明けには 夜明け方の横雲

